以前にある方から勝手にソウルメイト認定されて、眠い時に変なひもを目の前でぶらぶらさせられた猫のようにうんざりしまったことがありました。その方は自分の指導霊にメッセージをもらったことと、タントラで気持ちよかったことから僕のことを魂の片割れだと思ったようです。「魂はチョコモナカジャンボみたいに、そんなにうまくパキッと割れるのかよコラッ」と思いましたが、今回は僕がソウルメイトについて思うことを記してみようと思います。
僕はソウルメイト自体を完全に否定はしませんが、一つの魂がふたつに割れるようなことはないと思っています。
そもそも魂とはスピリットや情報を入れる器のことを言います。スピリットや情報が水だとするとコップみたいなものです。
地球上では全ての人が魂とスピリットを持っています。それぞれの人はそれぞれのテーマを持って輪廻したり転生したりします。
輪廻とは地上と幽界のループのことを言います。今では幽界は無くなったそうでダイレクトにアストラル界に戻れます。転生とは自分の魂の大元であるマスターソウルに戻ることを言います。マスターソウルでは情報を整理して地球以外の惑星への転生もできます。
話を戻して魂のことですが、一人に一つ与えられた魂はわざわざ二つに分かれる意味があるのかということです。魂の大元であるマスターソウルが共通するもの同士が出会うことはあるでしょうが、わざわざ一つのものが二つに分割する意味がよくわかりません。株式分割やスイカじゃないんだから。
ソウルメイトというワードが好きな人達を虚心坦懐にみてみると、人生のテーマややるべきことが見つかっていない人が多いように思います。
自分の人生がうまくいっていないので、パートナーを見つけて付き合うことで一発逆転を狙おうとしているのです。
これは平均ということを考えればわかりますが、低い方が高い方と付き合うと、低い方が得をし高い方が損をします。超資産家がなかなか結婚したがらないことを見ればよくわかるでしょう。
ソウルメイトを探している方というのは本質的には玉の輿に乗ろうとしている人とほとんど変わりません。自分で何とかしようという主体性がなく、ただ相手に多くのことを求めているからです。
僕は以上のことからソウルメイトという概念が嫌いです。ソウルメイトとはふわっとスピリチュアルで金儲けを企むものが、人生がうまくいかない主体性のない人を甘い言葉で小躍りさせ、財布の紐を緩めてからソウルメイトリーディングなどのセッションに誘導するものだと思っています。あるいはよくわかっていない概念をただフィーリングで書いているにすぎません。
ソウルメイトを探すよりも、自分自身がどうすればより輝くことができるのかを考え実践して欲しいものです。輝いているもの同士が惹かれ合う方が良いものだと思いませんか。どちらか一方だけよりも。