Twitterを見ていたら、初見の映画を早送りで見る人たちが増えているとトレンドになっていた。
役者たちのセリフを言うリズムやスピード、流れる音楽のリズムを無視して、自分にとって見やすいスピードで見るらしい。自分の見たいシーン以外を、早送りにするタイプもあるそうだ。
おそらくこうなった背景には、本を速く読む『速読』からの流れがあるのではないだろうか。速読は本の情報を速く処理するための方法だが、昨今では動画再生のスピードも調整できることもあり、速読ならぬ速試聴をする人たちが増えてきたのだろう。
もちろん通常スピードより速く情報を処理することは悪いことではない。しかしそれを行って良いのは、必要な情報を知るための情報処理だけであって、作品やアート、音楽鑑賞には全くもって向かない。なぜならそれらは情報を処理するものではなく、五感で感じて味わうものだからだ。
空腹を満たしエネルギーを補給するための食事であれば早食いというのはあるかもしれないが、高級な寿司店で早食いをする人はいないだろう。
それと同じく、映画鑑賞においては情報の早食いではなく、作品のリズムを感じてその世界にどっぷりと浸かるのが良い試聴方法ではないのか。
なんでもスピード化すると、情報処理のみに意識がいき、『心』というものはどんどんと置き去りにされてしまう。
置き去りにされた『心』が色々なことを訴えていると、ヒーラーである私は感じている。