僕は2年ほど前、ある女性とヒーリングや祈りについて話している最中に「例えば自分が飼っている犬だけじゃなくて、よその犬の健康や幸せも同じように祈れるようになるといいですよ」と言ったら「〇〇(自分の犬の名前)だけでいい」と一蹴されてしまったことがあり、少し驚いてしまいました。なぜならこの方は、割とエネルギー感覚が良く、僕の言っていることをすんなり理解してくれるだろうと思ったからです。ヒーラーとしての僕の考えは、やはり一般的な感覚ではなく、うまく伝わらないのですかね。
僕は散歩中にすれ違った子どもたちにも、よく祈っています。言葉で祈る時もあれば、エネルギーでふわっと包むような感じの時もあります。これは何か利益を期待しているからではなく、そうしたいからそうしているのです。子どもたちが楽しく笑顔で生活できれば、僕に何のリターンがなくたって構わないのです。
犬とすれ違ったら『元気に散歩できてよかったね』というような祈りを込めて視線を送ります。それに気づいても気づかなくても、それは意味のある良質なエネルギーとして、きっと役に立っているのだろうと思っています。
猫はもうすっかり僕の住んでいる周辺にはいなくなってしまっていて、あまり交流はできていませんけど、たまに人懐こい猫がいると「お〜い」と呼び寄せて、守ってあげるようなエネルギーで包み、優しく触れています。猫は男性に懐かず女性に懐きやすいのは、きっと触り方が男性の方が雑だからなんでしょうね。雑になってしまうのは、相手に対しての配慮や思いやりが欠けているからでしょう。
現代ヒーリングの父のハリー・エドワーズは『思いやり』を特に重視していました。あれだけヒーリングを成功させているのだから、何か素晴らしテクニックでも持っているのだろうと『霊的治療の解明』を読んだ方は少しがっかりするかもしれませんね。でも僕にはこの『思いやり』が、ヒーリングを成功させる土台にあるという考え方には、ものすごく理解できます。
良いヒーラーになりたい、ヒーリング能力をあげたいと思われている方は、思いやりを伴った祈り(利害関係のない相手を心を込めて祈る)を実践されても良いと思います。なぜ家族や恋人、友人ではダメかというと、この純粋な祈りに近い思いやりの感覚が掴みにくいからです。人は近い人に対してはどうしても「ああしてほしい、こうしてほしい」となってしまいますから。