1週間以上前から、茶碗を手に持った時に、暗くて深い穴に小石を落としたような微かな音がしていて、なんだか妙だなと思い隅々まで調べてみましたが、全く異常はありませんでしたので、気にせずに使っていました。
しかし昨晩、ご飯が炊けて水切りカゴから茶碗を取り出したその時、子どもの乳歯がスルッと抜けるかの如く、茶碗が割れました。割れたと言うよりも、外れたと言った方が正しい表現かもしれません。パリンと真っ二つに割れたのではなく、ピザの1ピースのように三角形に割れて外れたのです。
断捨離のしすぎというのは、このような時に大変困ることに気づかされました。そう、僕のうちには茶碗がひとつしかないのです。応急処置として、緑の養生テープを外側から貼ってなんとか凌ぎました。
食事が終わり、茶碗が割れた意味を早速ネットで検索してみると、そこには人生で変化が起きるときとありました。そういえばエンジェルナンバーの555も最近やたらとみるのです。555の意味もまさしく変化で、茶碗と番号の両方から「変化が起きるぞー」と知らされているのかもしれません。
新しい茶碗を選ぶのは野菜を選ぶのと同じように簡単に選べると思っていまいがちですが、意外とそうでもなく悩んでしまうものです。それは長ければ10年以上食卓のパートナーとなるからであり、また数日で御縁を終えてしまう運命も内包しているからでしょう。
普段行っているサミット、たまに行くイオン、経費を抑えてダイソー、など色々と考えた挙句、ちょっと値が張るかもしれませんけど、そごうに行くことにしました。
6階売り場にある日常食器のコーナーでは、思っていたよりも高く全体的に小ぶりであるため、あんまりしっくりくるものがないなと、その場を離れて他の売り場に行きました。すると3万円越えのものも出てきて、慌てて元のところに戻り、探索を再開しました。
そうすると先程は目につかなかった九谷焼(くたにやき)の茶碗が目に入り、3千円と少し高価な気もしましたが、ご飯をよそった時に粒が映えそうなのと、装飾の一部が金色のため食べるたびに高級な感じが味わえるのではないだろうかと思い、即決しました。
売り場で会計をし、女性店員が別フロアにあるところまで移動している間、なぜかわかりませんが僕の周りにお客さんが増えてきました。平日の夕方に茶碗を買う人なんて結構珍しいと思うのですが、誰かそこで買うのを見かけると、あたしも茶碗を買っておこうかしらとなるんでしょうか。そういえば、本屋で集中して本を選んでいるときも、必ずと言っていいほどおじさんが僕のそばにきて同じ棚を探し始めるという現象があります。これはいったいなんなんでしょうね。ほんとに。